<< October 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
NEW ENTRIES
PROFILE&ACCESS
LINK
ENQUETE
STORE
ARCHIVES
TRACK WORD
LOG IN

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - | スポンサードリンク |
鶴の丸 キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
鶴の丸
うわっほい!
「鶴の丸」の神紋といえばあそこですね、鶴岡八幡宮! 先日行ってきました。お守りと素敵な魔除けの鈴です。見せびらかして記事は後ほどうp!
| 戦国BASARA | 23:45 | - | trackbacks(1) | ゼロ |
飯高壇林〜別話〜
飯高壇林
先日記事にした飯高壇林ですが、余談としてお話をお聞き頂きたい。先日の記事を読まれていない方は是非読んでから。

父は以前飯高壇林周辺にある「牛屋」さんを診療にまわる獣医でした。このあたりは杉林が生い茂っているため、夕方になると畜舎への入り口が分からなくなるほど鬱蒼としていたそうです。

毎日診療に行く、知人の牛屋さんからこんな話を聞いたそうです。

「先生、実はうちには大量の小判があるんですよ」


ことの発端は大正時代。
飯高壇林周辺の杉林の大きな杉が何本かが台風により、倒れてしまったのだそうです。その始末を任されたのが、この話をしてくれた牛屋さんの祖父に当たる方でした。おじいさんは仲間と2人で倒れた杉を始末に行きました。

杉は成長すると、根元に人1人入れるほどの大きな洞(ほら)を作ります。空洞になるので、台風になると倒れてしまうものもあるのだそうです。おじいさんたちはせっせと後片付けをしていると、ある1本の杉の洞の土の中から、大きな瓶(かめ)に入った小判がざくざく出て来たというのです。

今すぐはまずいので、時間が経ってから・・・・と、おじいさんと仲間は2人でこっそり小判を山分けにしました。「これは子供や孫にいい土産ができたわい」とおじいさんは大変喜んでいたそうです。

そして時が流れます。
その小判も大正、昭和、平成を経て、おじいさんからその子供へ、そして孫に当たる知人の牛屋さんへと引き継がれました。その小判を子孫に残したおじいさんは随分前になくなってしまいましたが、一番楽しみにしていたのは多分このおじいさんだったことでしょう。

小判を引き継いだ知人の牛屋さんは、もうそろそろいいんじゃないかと、小判を携えて鑑定してもらいに行きました。作られた年や大きさ、純金の混ざる割合により小判の価値は様々ですが、3代に渡って隠し持ってきた大量の小判なわけです。期待に胸を膨らませ、出た結果は・・・










「全部ニセ小判だったんですがね」


全部偽造小判だったんです(笑)

「一番幸せだったのはウチのじーさまかな。
 偽物とは知らず、孫子にいい土産を残したと思って死んだんだから。
 ロマンだねぇ」

知人の牛屋さんは笑って言ったそうです。

3代に渡って夢みた結果がコレでも、ロマンのある話です(笑)
うまい話にはそれなりのオチがあるわけですね。

その話を聞いた後、実は父がニセ小判を1枚もらったそうです。
確かに子供の頃家に小判があったのを記憶していますが、それはどうなったのかと聞くと、父が子供の頃に御世話になった呉服屋のおばあさんに、その話をしたところニセ小判でも欲しいといったのであげてしまったそうです。写真を撮りたかったのに残念。史料的な価値は十分にあるとは思います。


さてそのニセ小判ですが、どうして飯高壇林の杉の洞にあったのでしょうか?
ここからは確証もない話となりますが、知人の牛屋さんいわく、

「壇林の坊主たちが作っていたんじゃないかね。
 人も来ないような山の中とはいえ、生きてくには金がいる」

それもあの壇林周辺を見れば納得できるような気がします。
杉林を眺めながら思いを馳せる、これまた浪漫というもの。
ここの杉林のみが知る真実。
| 戦国BASARA | 18:07 | - | trackbacks(0) | ゼロ |
黄門桜
 黄門桜
桜が咲いていないのがとても寂しいのですが、こちらは千葉県八日市場市の天然記念物になっている「黄門桜」です。

その名の通り、1699年に徳川御三家の1つ、水戸藩の水戸光圀が先日記事にした「飯高壇林」を訪れた際、佐原から八日市場までの間に桜と松を植樹したという記録が残っていることから、「黄門桜」と名付けられたそうです。

市内にある桜の中でも最大級の大きさだそうで、種類は山桜の一種。幹はかなりの太さで、枝も空を這うように広がっています。淡い黄色を帯びた花をつけるそうですョ。

近隣の方はご存知かと思いますが、かなり奥深い場所にありますので、知らない方は見過ごしてしまうかもしれません。咲いている時に来れたらいいなぁと思います。
| 戦国BASARA | 22:06 | - | trackbacks(0) | ゼロ |
飯高壇林
お休みを利用して電車では行きづらい場所に行ってきました!
お勉強にもなるので興味のある方は読んで頂けると嬉しいです。
飯高壇林
ここは飯高壇林(いいだかだんりん)と言って、戦国時代(1560年)に開設され廃壇される明治初期まで多くの名僧を輩出した、日蓮宗日本最古、最高位の壇林でした。壇林とはいわゆる僧侶を育てる為の施設のことで、日本各地からお勉強にやってきたといいます。管理人の方いわく今でいうと、大学院レベルの実力がなければ入れない、狭き門だったそうです。
飯高壇林
廃壇後に立正大学に引き継がれたわけですが、講堂や鐘楼などは国指定の重要文化財です。
飯高壇林
天を貫くような杉の大木に周囲を囲まれています。この杉は全国各地の修行僧たちが、入壇の際「郷里の杉の苗を10本寄進する」という決まり事に従って植樹したのだそうです。杉の種類こそ分かりませんが、あらゆる地域から運ばれてきた杉で形成された杉林ということです。
飯高壇林
今でもコンビニなどないような場所ですから、当時は寒くて寂しい場所だったと思います。面白いことに、この周辺からは議員さんや教授を多く輩出するなど、不思議と頭のいい方が多い地域だそうです。

それの意味するところは1つ、修行に耐えられなくなった僧が山をおりて、地元で家庭を持ってしまった、或は女犯禁止の戒律を破ってしまったということ。歩いてみると分かりますが、本当に静かな場所なのです。入壇してから8課程を終了するまでに36年という長い期間を有するというのですから、人寂しくなって途中挫折してしまうのも納得できますよね。


この周辺には「城下」と書いて「ねごや」と読む地域があります。オイラも父親から初めて聞いたのですが、どこをどう見てもそんな風には読めません(笑) 同音読みで「根小屋」(ねごや)と書く地域は全国にありますが、館やお城のある山のふもとの集落を意味します。

実はこの地域には本佐倉城(もとさくらじょう)という城があります。その城の出城として戦国後期に築城された向根古屋城(むかいねごやじょう)というものもあるのです。そういったことから、「城下」=ねごやは完全な当て字だったのかもしれませんね。ちょっとよく分からないので、史料等調べてみたいと思います。


壇林に関して面白いエピソードがあります。
オイラの父親が話の当人と知人であったため、事の顛末を知っているのですが、時が経ったからこそ話せるお話なのだと思います。それはまた今度!
| 戦国BASARA | 20:49 | - | trackbacks(0) | ゼロ |
露姫の遺書
遺書
鳥取藩分家 5歳の姫君、父母への優しく切ない遺書
(asahi.comより転載)

鳥取藩分家の一つ、西館(にしやかた)池田家の5代当主池田定常(1767〜1833)の末娘、露姫が家族に書き残した遺書の木版刷り4通が鳥取市鹿野町鹿野の雲龍寺で見つかった。「お年だから、お酒は飲まないでね。おとうさまへ」――。先立つ幼子の優しくも切ない胸の内がつづられている。

露姫は江戸屋敷に生まれ、1822年に5歳で病死した。死後、愛用の机の引き出しから遺書が見つかり、その内容に心打たれた定常の友人、松平定信や滝沢馬琴ら当時の幕閣や文化人が追悼の意を込めた書画を定常に贈った。遺書などは「玉露(ぎょくろ)童女追悼集」(全30巻)として今も浅草寺に残る。

池田家ゆかりの雲龍寺で見つかったのは遺書の木版刷りと供養を求める覚書で、今年1月に檀家(だんか)向けの冊子に掲載された。55歳の父への遺書には「於(お)いと(老い年)たから(だから)こしゆ(御酒)あるな(上がるな)」と健康を気遣い、母には「むとせのゆめの なこり於しさに」(数えで6歳という短い命は名残惜しい)と心情をにじませた。

定常の家臣が書いたとみられる覚書も遺書とともに見つかった。そこには露姫の死去や遺書発見の経緯が記され、「定常様の悲しみは深いので木版刷り4通を全国六十余州の霊地に送りました。御寺にもお納めください」と手書きで記されていた。

覚書を読み解いた鳥取市歴史博物館の伊藤康晴学芸員(日本近世史)は「覚書の発見は、露姫の遺書が江戸だけでなく全国各地に広く伝えられていたことの証拠になる」と話した。


文字を見た瞬間とても悲しくなってしまいました。
「遺書」と呼ぶにはあまりにもつたない字、病床で書いた父母への手紙なのでしょう。小さい子供が「死」を意識して手紙を書くこと自体、考えただけで胸が張り裂けそうです。

池田家といえば「松平姓」と「葵紋」を下賜された外様大名ですが、現在の16代目当主には跡継ぎがいないため、当代限りで池田家は終焉を迎えるそうです。何百年も続いてきた家格ある家が終わりを迎えるってどんな感じなんでしょうか・・?

想像することすらかないませんが、寂しいですね。
| 戦国BASARA | 22:02 | - | trackbacks(0) | ゼロ |
伊達さんちからお手紙
伊達家家紋封筒
機会がないとお目にかかれないものだと思いますので、ちょっとだけピローン。伊達さんトコのリアル封筒ですね。中身は・・ねぇ(笑) 夢がなくなるとてもリアルなものが入っています、フフ。
伊達家家紋許可証
これは今年度の「使用許可証」です。
「申請した内容内なら使ってもいいからね」って感じのことが書かれています。時々聞かれることがあるんですが、本当に許可もらってマース。まぁ・・ねぇ、うんこみたいなTシャツ屋ですから、疑われても仕方がないなーっとは思いますケド・・(´・ω・`)。
戦国BASARA X
巡回先のITmedia +Dにて紹介されていましたが、発売日決定したんですね。オマケがイロイロ豪華そうです。土林さんのイラストを使われたカルタなら、2つあってもいい感じが・・別売りで売っても売れそうですよね。あ、そうそう、カルタで思い出しました!!

以前「ジョジョの奇妙な百人一首」という記事を書きましたが、「本当に買ったの?」とか言われそうなんですけど2月にブツはとっくに届いているんです。出来がよかったので、バサラクロスのオマケカルタはこんな感じかも・・・と思って頂くためにも後ほど写真を撮ってきちんと紹介しますね。ホントにいろんな意味で素晴らしいですよ!
| 戦国BASARA | 23:59 | - | trackbacks(1) | ゼロ |
BASARA汁
戦国BASARA2 缶ジュース6本セット
第1弾の缶ジュースセットは、ブログをお休みしていて紹介できなかったので、せめて第2弾の缶ジュースセットくらいは紹介しようかな・・と。

アニメイトで予約受け付けていますので、ネタ系アイテムとしてはなかなかいいんじゃないかなぁと思います。この類いは好きな人にプレゼントしてあげるのが一番喜ばれますね。相変わらずデザインは使い回しのものですが、そこはアニメイトなんでまぁ・・ゴニョゴニョ・・。

キャラ色と味を合わせているようですが、オイラは「パイナップル味」がやたらと気になります。パイナップルの缶詰に入っている汁がデフォルトとしたら、何倍に薄めたくらいの味なんでしょうか? 
| 戦国BASARA | 16:08 | - | trackbacks(1) | ゼロ |
戦国時代の男色について
御法度
御法度
しばらく何も記事を書かなかったクセに、いきなりこのタイトルか!!
って言われそうですけどー、ミンナ興味がないわけないじゃないよねぇ、きっと嫌いじゃないでしょう〜(笑)? 

性的表現が苦手な方、「そんなもの知りたくない」「嫌い」「バカ、よせww」って方はこの先読まないで下さい。文句言われても困っちゃう。

実は全く違う調べものをしていたのですが、ベクトルが知らないうちに「男色」に。何故「同性愛」と書かないで「男色」かというと、女性同士のそれに関しては江戸まで時代が進まないと、恐ろしい程に史料がないということから、一括りにはできない性文化だと思われるからです。

「男色」を遡ると、仏教伝来の頃までいってしまうのですが、弘法大師空海は仏教だけを伝来させたわけじゃなかったんですねー・・・。男色開祖のお話は特に書きませんが、こういうタブー視されるものは、必ず信仰とセットになっているということも面白い事実。ともあれ平安時代にはとっくに流行って、バリバリやっていたということですYO! いや、多分仏教が伝来する前から存在はしていたとは思います。

あなただけの弘法大師空海
あなただけの弘法大師空海
何故かとても意味ありげなタイトルに見えます

戦国時代は「男色」に対して、現代に比べると薄暗いタブーな印象はなかったようです。むしろ「そんなの当たり前」だったようで、「英雄色を好む」という言葉は、バイセクシュアルな要素を含むものでした。それを考えると少し悲しくなりますが、この当時の女性は本当に「世継ぎを生むためだけの存在」、だったような気がしてなりません。

有名なお話ですが、安土・桃山時代にやってきた宣教師たち(キリスト教では同性愛禁止なんだって)が、日本で公然と「男色」が行われていたのを見て、凄いショックを受けたそうです。まず、呆れるほどその行為に対する、背徳的な後ろめたさがないこと、コソコソ隠しもせずにオープンなこと、一国を治める大名ですら小性と肉体関係があることを隠さず、仕舞いには「おまえらこのすんごい気持ちのよさ知らないの?」とのたまう始末。

お尻とその穴の文化史
お尻とその穴の文化史
(´・ω・`)穴というのは奥が深いらしいです

この時代、武家・公家・寺院ではかなり普及していて、武将はこぞって美童を小性として側に置きました。以前「鶴の丸」の記事で、小性のお話を少し書きましたが、勘違いしてほしくないのは、小性は「男色」だけの対象ではないということです。

皆さんが知っている有名なところで武田信玄と高坂昌信織田信長と森蘭丸徳川家康と井伊直政等の主と小性の関係でしょうか。信長と蘭丸に関しては、異説異論があるのですが、戦国時代「男色」が武士の嗜みの1つであったとするなら、アリな間柄ではなかったのかと思うのですが。信長に関しては前田利家とも男色要素が指される史料が残っています。そして意外と知られていませんが伊達政宗と只野作十郎という小性との間柄。

「世界一受けたい授業」という番組で取り上げられたそうですが、ラブラブな感じの政宗文書が残されています。さすがに読むとこのオイラですら何か恥ずかしくなるようなラブレターですよ!! この時代に既に「自らの体に傷をつけて、身の潔白を証明する」という遊女的行為があったことに驚きなんですが、これを読む限り、政宗サンの体は傷だらけだったらしいですょ。てぇこたぁ!!! 恋多き人だったってコトでしょうね。・・・エサをバラ巻いてみました。

この恋文は「伊達政宗の手紙」で有名になりましたが、この本読むとイロイロ面白いです。手紙(恋文だけじゃないですよ)をまとめたものなのですが、政宗のマメっちぃ姿が浮かび上がってきます。オマケのエサ話としてもう1つですね、片倉景綱(小十郎)の息子、重綱に大阪の陣出立前夜、「政宗公がホッペにチュウをした」って記述が『片倉代々記』には残されちゃっているそうですょ。

学校ではあつかえないウラ日本史 (KAWADE夢文庫)
学校ではあつかえないウラ日本史
下ネタ史。穴話が好きな方はネタになりますえー。

大概の僧侶や武将は男も女もイケるクチだったようですが、中は本当には男色専門という人もいたようです。その疑惑はオイラの好きな上杉謙信にもかけられています。仏門に入る時に「生涯女犯はしない」という誓いを立て、生涯正室も側室も持たなかったわけです。しかし他の戦国武将同様、美童を小性にして身辺の世話をさせていましたし(直江兼続もその1人とされています)、確証的なことはありませんが、当時の寺院での「男色」ブームからすると、例に漏れず・・・なのかもしれません。

一般大衆に「衆道」(同性愛・少年愛)としてブームになったのは江戸時代に入ってからだといいます。江戸時代は大衆に広まったことと、幕府が公式に「僧侶の女犯禁止」を発布したので、寺院ではますます盛んなり、特に大きな寺院では「男色」は「僧侶の特権」として発展しました。体を売る美少年は「陰間(かげま)」と呼ばれ、「陰間(かげま)茶屋」という風俗店も高額ではあったようですが、一般大衆でも入ることができたといいます。江戸時代の民俗学的史料はかなり豊富に残っていますので、書店に行けば、風俗文化について書かれた本が簡単に見つけられるので、興味がある方は読んでみるといいですよー。
陰間(かげま)
wikiの項目「陰間」ですが、ここまで読んでいて「性的な表現うんぬん」は問いません。クリックはご自身の判断にて御願い致します。

しかしその行為そのものが、堂々と行われていたのも江戸時代までで、キリスト教的道徳観念が日本に入ることにより、近代における「男色=タブー」という意識が根付いたようです。

冒頭の「御法度」DVDジャケですが、大島渚監督の撮ったこの作品で「男色」(映画内では衆道と言っています)を扱っています。タブーでありつつも、それが大衆化していたことが分かる映画です。新撰組を扱っているにも関わらず、違った視点でストーリーが進んでいきますので面白いです。俳優陣も魅力的、興味があれば是非ドウゾ!

( ̄□ ̄;)最後まで読まれた方、お疲れ様でした。
かいつまんだだけですが、タブー的な文化は調べると面白いですね。
| 戦国BASARA | 22:24 | - | trackbacks(0) | ゼロ |
幸村投げ売り

戦国BASARA2 戦極像 真田幸村 完成品フィギュア コトブキヤ版

( ̄□ ̄;)なっ!!! 「あみあみ」で40%オフ!!!!
もっとイケメン顔に改良してやるわーっ!! って方は改造用に絶対買った方がお得だ♪ 塗装を全部剥がして塗り直し用にしてもいいかも。「あみあみ」の送料500円はデフォなので仕方がないですが、送料足してもこの値段で売ってるところはないです。アマゾン経由の方でも同率割引しているようですよー。見つけてびっくりしたので未購入の方にお知らせ。

3/14追記
アマゾンで50%オフになっていました(笑)
こんなに投げ売りされちゃうなんて、どんな罰ゲームなんですか。
| 戦国BASARA | 15:02 | - | trackbacks(0) | ゼロ |
仙台笹を家紋に持つ人
伊達政宗 [Truth In History]
伊達政宗 [Truth In History]

屋外直参出店のイベントというのは、屋内のイベントとは全く違い「目的」意識がない通りすがりの人がほとんど。9割8分はまず初見です。そんな中で不思議な巡り合わせがあるのも、屋外の魅力。事の顛末を話した友人しかり、「それはきっと必然。何か縁があったんだろう」と言われた、屋外のイベントでのことです。

デパートの入口付近のブース位置だったのですか、その日はいつものあくどいTシャツでアイキャッチ(笑)、缶バッジ・かまぐちと家紋グッズをメインにしていたわけじゃありませんでした。通りかかった方が「あら!?」と言って足を止めました。

大抵イベントの時には「伊達の家紋使用許可」うんぬんの名刺サイズのポップを置いておくのですが、その方それを見て「これ、珍しくないですか?」と一言言いました。一応許可をとってあることを一通り伝えると、その方の口からなんと、
家紋グッズ 缶バッジ紫羅背板地五色水玉文様陣羽織

「この仙台笹、ウチの家紋なんです」

と驚きの一言が。
オイラはこの家紋を使用している方(伊達姓以外)の話を見た事も聞いたこともなかったので、もしかしたら「伊達さんなのかも」思い、失礼ながらも名字をお聞きしました。「マツノ」さんと言うのだそうてす。

「これ、禁止紋なんでいろいろ大変なんですよー」

とちょっとしたエピソードを聞かせてくれました。特に困るのは、祭りのハッピや提灯などの小道具(地元は祭り行事がさかんなんです・・)、紋付の着物を作る時で、自分の家の紋なのにいつも特別料金を取られることだそうです(笑) どこの呉服屋さんに行っても必ず特別料金がかかってくるそうで、かなり困るとか。呉服屋さんに紋の型がないので、特別発注扱いらしいのです。

「ウソでしょ! とか言われますけど本当にコレなんですよ」
どういった経緯で家紋になったのかは分からないそうですが(勝手に家紋にしちゃった説もあり得る)、とにかく何かに紋をつける時は苦労するそうです。

「普通のお店にウチの家紋があるのを見たことがないから嬉しいです。
 もし、向こうの入口(デパートの入口は2ケ所あるんです)から出てたら、
 出会わなかったと思いますし、きっと何かの縁なのかもしれませんね」


と缶バッジやらTシャツやら沢山お買い上げくださいまして、こちらも何だか嬉しかったです。数年ぶりに出た屋外直参イベントでしたし、実はこのイベント抽選方式でして、抽選通らなかったら出ていなかったわけです。実はこの日はこれだけじゃないんです。

近所のマックで働いているカワイイおにゃのこが、「マルイONEでパンダ見たコトあって・・」ととんでもなく歓喜して、パンダをお買い物してくれました。それと、これから買う予定の箱マルを既に所有しているおにぃさんと、ゲイツ箱の話で盛り上がりました。買う前だったので、この方にイロイロ聞けたし少し不安だった部分もクリアしました。何かがどこかで噛み合ったのでしょう。不思議な1日でした・・。

屋外販売
6年ほど前の懐かしい写真が出て来たので見てもらうと分かりますが、この写真は全部屋外のイベントです。右下の写真なんか初期も初期の頃。直接地面の上に並べて売ってたりしてました。
新宿中央公園での販売の図
ひどい時には隣のお店どころか人もなく、ちょっとした拷問プレイwww。
| 戦国BASARA | 22:14 | - | trackbacks(0) | ゼロ |